THE MOON AND REDPANTS

 
2018年 春
宮城県丸森町に移住し
”人の意識を下着で変える”
をテーマに赤パンツを作り
1種類の赤パンツだけを
販売してきました

消滅可能性都市と呼ばれ
縁もゆかりもなかった町から
世界中に赤パンツを売ることで
日本中のカントリーサイドに
小さな希望を届けよう
地方を起こし、日本を起こす

赤パンツが人に力を与え
赤パンツが世界に君臨し
赤パンツで革命を起こす

当時26歳
若く、貧しく、無名な私は
野望を赤パンツに乗せて
活動を始めました

それから
1種類の赤パンツと
生きてきました

赤パンツに出会い
赤パンツに嵌まり
赤パンツに膨れて
赤パンツを創造し
赤パンツで退職し
赤パンツで移住し
赤パンツで起業し
赤パンツで会見し
赤パンツで新聞に載り
赤パンツで雑誌に載り
赤パンツでラジオに出て
赤パンツでテレビに出て
赤パンツをいっぱい売った
道端で売った
ネットで売った
日本中で売った
日本中に売った
海外にも売った
空港でも売った
百貨店で売って
歴代売上記録を塗り替えた
友人も買ってくれた
知らない人も買ってくれた
老若男女が買ってくれた
大学生も会社員も
芸能人もスポーツ選手も
アーティストも大臣も
頭取も知事も社長も
買ってくれた
誰でも穿ける赤パンツ
誰でも贈れる赤パンツ

2019年 夏
赤パンツは
世界的映画
「永遠に僕のもの」
とコラボした

赤パンツを売る車として
真っ赤な消防車を買った
消防車に乗って
赤パンツを売った
日本人が下着を穿くきっかけは
1932年の大火事にある
誰も関連には気づかなかった

赤パンツの絵を描いた画家
赤パンツの曲を作った音楽家
赤パンツはときにモチーフになった

赤パンツは
誰かの贈り物になり
誰かのお守りになった

300枚以上売れた日も
全く売れなかった日も
赤パンツと共にいた

2019年10月
宮城県丸森町に
台風19号がきた
町は浸水し道は壊れ
電気水道が止まった

在庫の全ての赤パンツを
避難所や役場に寄贈した

公共浴場の脱衣所が
真っ赤に染まったそうだ

売る赤パンツがなくなり
高揚を感じたように思う

するべきことをした興奮と
赤パンツを売る圧からの開放が
入り混じっていたように思う

これらはすべて
赤パンツの販売開始から
1年以内のことであった

空っぽの倉庫で私は考えた
「これからどうしようか」

沈黙と共にいた

2020年年始
マグロの初売りをみた
1億9320万
衝撃を受けた

これを
再現したいと思った
赤パンツで

1枚の赤パンツを
1億9320万円で販売し
丸森町から世界に届く
ニュースを作る

その赤パンツが売れると
これまでの全ての顧客
避難所で赤パンツを穿く人が
「自分が穿いている
この赤パンツが1億9320万円か」
と感じるだろう

元気を与えるに違いない
「下着で人の意識を変える」
はこれでさらに達成される

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脳内ピケティは
賛同していた
波はきている

2020年2月
赤パンツの再販を開始し
日本経済新聞に掲載された

赤パンツ作品を世に出す
タイミングがきた

多くの記者を集め
私と丸森町の町長で
作品の発表記者会見をする

私は赤パンツで伝説を作る

はずだった

あとは
発表して理解者と
出会うだけ

赤パンツが
とんでもない価格で売れる
ことを世界に広めよう

浸水した丸森町に
明るいニュースを届けよう

最大の挑戦が
始まろうとするとき

コロナがきた
発表を延期した

コロナが増えた
発表を延期した

延期を重ねた
逸る気持ちを抑えた

コロナが社会を変える
と確信したとき
発表を中止した

台風19号が直撃した当時
丸森町は最も大変な町だった
だから復興する必要があり
注目を集める必要があった
明るいニュースが欲していた
必要性から私は作品を生んだ

しかし
コロナによって
丸森町だけでなく
日本中、世界中が
大変な地域になった

変わりゆく社会に
放心した

コロナ禍において
高額で赤パンツを売る
チャレンジをする
意義は見出せなかった

注目は資源であり
必要なところに行き渡ってほしい

それから
ビジョンが描けなくなった

正気に戻ったのかもしれない
赤パンツを1億9320万で
売ろうとするなんて
私が狂っていたのか

変わりゆく世界の中で
消防車に乗って
赤パンツを売ってる場合ではない
消防車を廃棄した

社会が分断される中
赤パンツで革命
は間抜けに感じた

倉庫には用意した
大量の赤パンツがある

赤パンツと一緒に考えた
「これからどうしようか」

時を止めた

判断を誤ると
致命傷になると考え
動かないことにした

社会の状況を見つめ
乗れそうな波を待つ
それまでは静かに
新しいことを学ぶ

身近な人を手伝ったり
新たな事業や商品を作ろうと
これまでしなかった分野の勉強をした

営業はしなくなった
2018年に販売を始めた
小さなブランドが
営業もしなくなったら
全く売れなくなるだろう
と思っていた

コロナがきてすぐに
仙台空港で赤パンツを
取り扱っていた店は
閉店した

覚悟して
ピポットも検討し
情報収集に明け暮れた

不要不急
この言葉でショックを
受けた業界は多いだろう

僕も
あんなに赤パンツを
世界に売ろうと思ってたのに
グラグラした

絶対にすぐ必要
と言い切れない
赤パンツはこれから
続けられないかも

とメモ帳に書いていた

注文があった
ネットからだ
どこから見つけたのか
注文は継続し
用意した赤パンツは
全て売り切れた
ほぼ営業をしなかったのに

需要を感じた

この体験が自信になった

再度赤パンツに
向き合いブランドの
リニューアルを始めた

最大風速や急拡大ではなく
永く続けることを目標に
名前も含めて変更した

「月と赤パンツ」
宮城県丸森町で
赤パンツと共に生きた
人間の記録、販売機能を
ここに集約する

高野真一

ーつづくー
ー現在執筆中ー
最終追記日2021.8.26